HIRO Vol.2

──KOJIとの秘めたエピソードはありますか?

今まではあまり必要ないと思っていたので話してなかったけど…。ラクリマがブレイクしてから大きい会場でツアーをしている頃でした。あるとき、楽屋で僕の機嫌が悪くて。メイクが原因だったのかな。それでギターをバン!とテーブルに置いたら、その勢いで灰皿がひっくり返って吸殻が飛び散って。それでKOJIが切れたことがありました。「お前、何しとんねん!言いたいことがあるならちゃんと言えや!言わんかったら損するのは自分やで!」と、怖い顔で本気で言われました。僕も自分が悪かったのは分かっていたから、素直に「ごめんね」と謝ったら、その瞬間に表情が和らいで。ま、どっちが歳上なんだ、って話ですけど。

 

──叱り方もしっかり者ですね。

基本的にはしっかりしていました。だけど、KOJIは飲んだとき、たまにですけどメンバー1の破壊力を発揮することもありました。1年に1回もないけど。カラオケでSHOW-YAの「限界LOVERS」を絶叫してるのを何度か目撃したことがあります。暴れるとか、そういうんじゃなくて、スタッフと盛り上がって騒ぎまくるって感じでした。

 

──破壊力を発揮した次の日はエネルギー切れ?

それがそうでもなくて、案外ちゃんとしてました。とはいえ、たまに泥酔することもあって。デロデロに酔った翌日、仕事前にKOJIの家まで起こしに行ったこともあります。ラジオ出演があった日でした。住んでる場所が近かったので車で一緒に行く予定だったのに、約束の時間になっても現れなくて。しばらく待って、さすがにマズい時間になったので家まで行ってみたら、玄関の鍵も掛けずに爆睡してました。基本はしっかり者でしたけど、たまに、本当にたまにそういうハプニングを起こしてくれていました。

 

──2005年にKOJIがLa’cryma Christiを脱退。あれは避けられなかったと、今も思っていますか?

あの時点での僕らでは無理でした。ちょうどラクリマの音楽性が変わる頃でした。後期のハードロック路線に舵を切る直前というか。KOJIはそれが嫌だったんじゃないかな。「今までのラクリマの音楽が好きだ」とも言ってたし。その当時、ツインギターをこの先どうしていこうか、僕自身が迷っていたのも事実です。画期的なアイデアもなかったし。今思い返すと、ギターを1人で弾きたかったのかもしれません。自分の子供じみたエゴが、どこかにあったのかも…。メンバーやスタッフも交えて話し合っても、いい結論は得られませんでした。

 

──それが2005年3月21日のZepp TokyoでのLa’cryma Christi “V”ですね。

ええ。ただ僕の場合、次のこと、具体的にはハードロック色を強めるサウンドに気持ちが向かっていたので、あまり乗り気ではありませんでした。

今、冷静になって考えると、もっと違う対処ができたんじゃないか、と思います。バンドを抜ける前にファンの方に向けてそういう場を設けるのは当たり前だと思っていたので。あの日のライブが終わった時点では、きっともう一緒に演奏することはない、と思っていました。ところが、ツインギターの1人、いわば相方がいなくなってしまうと、ツインギターを前提に作った曲を1人で演奏しなきゃいけないわけで…。それに違和感がありました。2007年のラクリマのラストライブでも、KOJIが弾いていたギターソロをそのままコピーして弾きましたけど、やっぱりしっくりこなかったです。ライブを観てくれたスタッフからも、そこは指摘されましたし。

 

──2005年KOJIはLa’cryma Christiを脱退してすぐにソロ活動に移行しました。1stソロアルバム「Primary Color」は聴きましたか?

KOJIがソロアルバムを出したと知って、急いで聴いたりはしなかったけど、あいつ凄いなと、あいつはあいつで前に進んでいるなと、純粋に思いました。僕もいつかソロアルバムを作ってみたい気持ちがありながらも、現実問題、どう動けば良いのか、何をどうすれば良いのかさえ分かっていなかったので。KOJIのソロアルバムを聴いたのがどのタイミングだったのか覚えてないけど、確かに聴きました。KOJIらしい音でした。

 

──2009年、KOJIを含む5人での再結成。翌年にはツアーも。

リハーサルスタジオにそれぞれ集合したときは、いつもの5人でした。でも、僕の中では「ちょっと早くない?」という思いがあったのは確かです。解散からまだ2、3年くらいしか経っていなかったので。そのときはKOJIから「全然変わってないな」と言われたのを覚えてます。でも、僕が自分で車を運転してスタジオに行ったのを知ったときはビックリしていました。ラクリマ時代までは僕は運転免許を持っていなかったから。KOJIは「あいつには絶対運転は無理」と思っていたんでしょうね。

 

──2010年のGUITAR STUDY 4や、2017年のKOJI & HIRO Joint Liveなど、同じステージに立つこともありましたが、お互いわだかまりはなかったですか?

なかったです。2人で当時の話をしたことがあって。そのときは「あの頃はお互い子供だったね」って意見が合いました。それは僕の本音でもあったし、きっとKOJIの本音もそうだったと思います。僕の中では、KOJIは自分で仕切って、自分が演奏する場を作って、おまけにMCまでやっているから、やっぱりちゃんとしたヤツだと思っていました。

 

──KOJIと最後に会ったのはいつでしたか?

2人のファンを集めた旅行を計画したことがあったんです。2017年だったかな?その打ち合わせの日、KOJIが何故か機嫌が悪くて。僕にはその理由がいまだに謎のままです。で、KOJIが先に席を立ってしまって、結局合同のファンイベントは実現しませんでした。でも僕は「またチャンスがあればね」ぐらいの気持ちで。でも、それがKOJIと直接会った最後になりました。だから、後悔というのとは違うけど、もう少し連絡すれば良かったのかな、とか思う自分もいます。でも、病気が進んでいるとき、たとえ電話しても「大丈夫」「頑張れよ」とか、そういう言葉は言えなかったかもしれないし…。でも、近いスタッフから亡くなる前の様子を聞かせてもらって、「強いヤツだった」と思いました。自分が同じ立場なら、できなかったです。

 

──天国のKOJIに何を言いたいですか?

もしもお前が今まだ元気でいてくれたら、またラクリマの曲を演奏したいと、俺は思わなかったかもしれないってこと。5人揃ってというのではなくて、あのときみたいに2人でラクリマを演奏するチャンスがもっとあれば最高だったなって、ことですかね。あと、僕もいつか向こうに行くわけだから、あっちで会ったら、「おい、歳の順だろ。順番は守れよ」と言いたいですね。

 

―KOJIへの思いを音楽にすることは考えていますか?

今の気持ちを音楽で表現するべきだと、アドバイスしてくれた方もいますが、なかなかそういう気持ちにはなれません。それでも、何年後か分からないけど、いつか今の気持ちを音楽で残せたら、とは思っています。でも、正直まだよく分からないんですよ。それが今の正直な気持ちです。自分が悔しいのか、悲しいのか、寂しいのかさえ、まだ分からない。この現実を前向きに捉えるなんてことも無理だし。そう考えたら、KOJIへの気持ちを音楽にするのは、あいつが僕に遺してくれた宿題なのかもしれないです。

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HIRO Vol.1

KOJIオフィシャルサイトの開設にともない、特別寄稿で胸中を吐露したHIRO。ラクリマ解散後も唯一ジョイントライブをおこなう仲だったことも踏まえ、ここではKOJIとの今までの思い出や今の気持ちを率直に語ってもらった。すると、親しい関係者ですら知らなかった事実が飛び出す。それはきっと逝ってしまったKOJIのため、今なおKOJIを愛するファンのため、そしてHIRO自身がKOJIを忘れないため、ここに残しておきたかったのではないだろうか。

 

VOL.1

 

──KOJIとの出会いから聞かせてください。

「先にLEVINがバンド(STRIPPE-D-LADY)に入っていて、僕が「ツインギターでやりたい」と言ったとき、「だったら、いいギタリストがいますよ。ザック・ワイルドみたいなカッコいいのが」と推薦してくれたんです。KOJIとLEVINは学生時代からの友達だったので。最初に、KOJIと一緒に練習スタジオに入ったとき、僕が「LEVINがザック・ワイルドだって言ってたよ」と伝えたら、「とんでもないです」と苦笑いしていました。となりでLEVINが「もっと売り込めよ」とけしかけていたけど(笑)。プレイした第一印象は、洋楽ハードロック好きのギター小僧でした。テクニカルなプレイもできてたし。そこは僕にないものでした。ま、ただ、自分にはないものを特別求めていたわけじゃないけど、バランスという点でも、よくできた偶然でした。KOJIが加入すると決まってからは、すぐ二人でスタジオに入りました。で、「ここはこれ弾いて」「そこはこうして」とか、いきなりたくさん注文したら、「ちょ、ちょっと待ってください」って戸惑っていたのを思い出します」

 

──KOJIは、バンド加入直後から、作曲にたずさわっていましたか?

「KOJIが加入してからすぐ…あれはKOJIだけで作ったのか、LEVINも一緒に作ったのか、そこはわからないけど…アメリカンでハードなロックンロールが2曲あったんです。それをライブでやっていました。でも、僕はどうにも受け入れられなくて…。僕が大嫌いなタイプの曲だったので。だから、TAKAに「この手の曲をやり続けるなら脱退する」と言ったこともあります。結局、引き留められたわけですけど」

 

──KOJI楽曲の可能性を見たのは、どの曲でしたか?

「のちにラクリマ・クリスティーとしても発表した「Siam's Eye」です。まだラクリマになる前だったけど、KOJIがコード進行とか、大枠を作って、TAKAがメロディをつけて、みんなでアレンジすることになったけど、当日なぜかKOJIがスタジオに来ませんでした。だから、LEVINと当時のベースと僕でアレンジしたら、すごくいい感じでまとまりました。インディーズ時代の音源がそれです。ただの明るい曲じゃなく、不思議な感じに仕上がったのですごく満足したのを覚えています。みんなでアイデアを出し合いながらひとつの方向性に集約していく進め方だったり、それで得られる満足感は、あのとき初めて味わった気がします。メジャーデビューしてから徐々に「未来航路」とかのシングル曲を作るようになって、KOJI作曲のシングルが続きました。そのあたりから僕は、シングルのカップリンであることも意識して、暗めのマニアックな曲を作るようになっていきました。でも、「Without you」「永遠」は、アルバム『magic theatre』に収録されなかったので、KOJIとしては「なんで?」という思いがあったんじゃないですかね。そこからKOJIの作る曲が少し変わった気がします」

 

 

 

インタビュー・構成 藤井徹貫

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HIRO

あれからが1年になるけど、正直、まだよくわからないんです。ラクリマ・クリスティを脱退したときも、バンドが解散してからも、ライブとか、個人事務所の運営とか、ある意味、一番まともに活動をしてきたヤツだったし、創作や表現という点で一番頑張ってるヤツなのに、なんでこんなことになのか、考えても考えても答えが見つからないんですよ。部屋に写真を飾って、お花も飾って、話しかけたりするけど、なんか照れくさくて…。どっかからKOJIに見られているみたいで。「何やってんだよ、柄でもないことして」って冷やかされそうな気がします。

 亡くなる前、病状がかなり厳しいのは知っていました。ただ、自分に何ができるかわかりませんでした。KOJIならきっと大丈夫って気持ちと、最悪への心がまえの両方が同じ割合だった気がします。「あいつは大丈夫」って自分に言い聞かせて電話しなかったのか、電話できなかったのか、それも自分のことなのにまだよくわからないんです。逃げたのか、見守ったのか、よくわからないんです。

 それでも今、少しずつソロでKOJIの曲も演奏するようになっています。ファンのみなさんが心の中でKOJIを思い続けてくれるだけでも嬉しいんだけど、僕は思い続けていることを外に向けて表現したいと思ってます。亡くなった直後は、自分がKOJIの曲を演奏していいのかどうかもわからなかったので、ご遺族をはじめ、関係者の方々にも相談して、「やってほしい」というお言葉をいただけたこともあって、ちょっとずつだけどやり始めています。

 そこでいろいろな気づきがありました。この曲はこういう意図があったのか、ここはこういう組み立てになってるのかと、ちょっとずつ細かいところがわかるようになってきました。こうやって曲を彩って、歌を引き立たせていたのかとか。僕のギターを支えてくれていたポイントにも改めて気づきました。

 90年代の僕は、俺が、俺が、だったと思います。「KOJI、これ弾いてくれ」と、フレーズを指定することだってあったから、僕にムカつくこともいっぱいあったはずです。そういうときだって自己主張を抑えて、僕のギターがより一層輝くために支えてくれていたり、僕のギターとリズムを取り持ってくれていたり。メンバー一人一人をつないでくれていたり。今になってハッキリわかるようになりました。もしかしたら「遅いよ」と、KOJIは苦笑いしているかもしれないですね。

 この1年間、ラクリマ・クリスティの追悼コンサートをやって欲しいって声が各方面からあったと思います。確かにKOJIを応援してくれたみなさんには、それが一番なのかもしれないってわかっているし、僕にしてもそこでKOJIのギターが鳴っているのであれば是非やりたいですね。でも、KOJIの音が鳴っていなかったり、誰か違うギタリストが代役を務めたりするのなら、まったく参加する気になれません。逆に言うと、軽々しくやっちゃいけないんです、これだけは。残った4人の状況や気持ち、こだわりとかのチューニングがちゃんとビシッ合ったときに実現できるのかもしれないですね。

 追悼コンサートがすぐに実現しなかったとしても、僕がKOJIを忘れることはないし、10年経っても、20年経っても、KOJIの曲を演奏し続けると思います。忘れないぞ、思い続けてるよって、KOJIに伝えたいから。今、僕にわかってることはそれくらいです。KOJIを失って悲しいのか、悔しいのか、寂しいのか…。正直、まだよくわからないんです。

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